「モーニンググローリー」は、日本の著名なシンガーソングライター山下達郎が作詞・作曲し、妻である竹内まりやが1980年のアルバム「Miss M」で初めて歌った楽曲です。その後、山下自身も1982年のアルバム「FOR YOU」で独自のアレンジでカバーし、この曲に対する特別な思い入れを示しました。
「モーニンググローリー」の歌詞は、朝の光と新しい一日の始まりをテーマにしています。歌詞は朝日が差し込む情景から始まり、前夜の雨の名残りと対比させながら、新たな希望と可能性を象徴的に描いています12。
山下達郎が作詞した歌詞は、自然の情景と人間の感情を巧みに結びつけています。朝顔(モーニンググローリー)の花は、朝に開花して夕方には萎むという特性があり、これが一日の始まりと希望の象徴として使われています3。
歌詞の中では、朝の光が「輝きをheavenly 浴びせかける」と表現され、新しい一日がもたらす希望や可能性が強調されています4。同時に、「消えゆく悲しみに」という一節は、過去の苦しみや悲しみが新しい朝の到来とともに癒されていく様子を示唆しています24。
この楽曲は単なる朝の描写にとどまらず、人生における新たな始まりや希望、そして過去の経験を乗り越えて前に進む勇気を象徴的に表現しています。山下達郎の詩的な表現力が、日常の一コマから普遍的なテーマを引き出すことに成功しており、多くのリスナーの心に響く要因となっています32。
竹内まりやの「モーニンググローリー」は、1980年にリリースされたアルバム「Miss.M」に収録されました。このアルバムの制作過程には、当時の日本の音楽シーンとは異なる特徴がありました。
アルバム「Miss M」のA面全曲は、ロサンゼルスで録音されました1。これは当時の日本の音楽業界では珍しい試みでした。特に「モーニンググローリー」を含むA面の楽曲は、アメリカの著名なミュージシャンたちによってプロデュースされました。
楽曲のアレンジは、山下達郎ではなく、デヴィッド・フォスターとジェイ・グレイドンが担当しました1。この二人は当時、AOR(アダルト・オリエンテッド・ロック)シーンで人気の高い「エアプレイ」というユニットを組んでいた実力派ミュージシャンでした。
山下達郎は、自身のアルバム「FOR YOU」のライナーノーツで、この状況について言及しています。彼は「自分でアレンジしたいという意向に反して、彼女のヴァージョンはL.A.でレコーディングされました」と述べています1。さらに、フォスターのアレンジについて「いかにもAORという感じで、あまり私の好みでなかった」と率直な感想を述べています1。
この経験が、後に山下達郎が自身のアルバム「FOR YOU」で「モーニンググローリー」を再録音する動機の一つとなりました。山下は「自分のイメージでアレンジしてこのアルバムに入れました」と説明しています1。
興味深いことに、「モーニンググローリー」のコーラスアレンジメントは安部恭弘が担当しました1。これは、日本の音楽シーンと海外のプロデューサーが融合した独特の制作過程を示しています。
このように、竹内まりやの「モーニンググローリー」は、日本の音楽とアメリカのAORサウンドが融合した国際的な制作過程を経て生まれた楽曲でした。この経験は、山下達郎の音楽キャリアにも大きな影響を与え、後の彼自身のバージョン制作につながっていったのです。
山下達郎が「モーニンググローリー」を自身のアルバム「FOR YOU」に収録した背景には、いくつかの興味深い要素があります。
まず、「FOR YOU」は1982年にリリースされた山下達郎の4枚目のスタジオアルバムで、彼のキャリアの中でも重要な位置を占める作品です1。このアルバムは、山下が自身の音楽性をさらに深化させ、より洗練されたサウンドを追求した時期に制作されました。
「モーニンググローリー」を収録した理由の一つは、この曲に対する山下の特別な愛着でした。元々竹内まりやのために書いた曲ですが、山下自身もこの曲の持つ詩的な美しさと音楽性に強く惹かれていたと言われています2。
また、「FOR YOU」というアルバムタイトルが示すように、このアルバムは山下のファンや身近な人々への感謝の気持ちを込めて制作されました。その文脈で、妻である竹内まりやのために書いた「モーニンググローリー」を収録することは、非常に意味深い選択だったと考えられます3。
山下のバージョンでは、オリジナルとは異なるアレンジが施されています。より洗練されたプロダクションと、山下独特のボーカルスタイルによって、曲に新たな解釈が加えられました。これは、山下が常に追求していた音楽的な成長と実験精神の表れでもありました4。
さらに、この時期の山下は、自身の音楽をより広い聴衆に届けたいという願望を持っていました。「モーニンググローリー」のような親しみやすくも深みのある楽曲を収録することで、新たなファン層の開拓も狙っていたと考えられます5。
このように、「モーニンググローリー」の「FOR YOU」への収録は、山下達郎の音楽家としての成長、個人的な思い入れ、そして商業的な戦略が複雑に絡み合った結果だったと言えるでしょう。
山下達郎と竹内まりやの関係は、1980年から1982年にかけて急速に深まっていったことが分かっています。
1980年7月28日、竹内まりやはフジテレビ系音楽番組『夜のヒットスタジオ』に出演した際、司会者に質問され、山下達郎との交際を公に認めました4。この時点で既に二人の親にも報告済みだったとのことです。
1982年4月6日、山下達郎(28歳)と竹内まりや(27歳)は東京・六本木の出雲大社東京分祠で結婚式を挙げました3。式は身内だけの小規模なものでしたが、その後の披露宴には音楽仲間約200人が参加しました。
結婚に至るまでの2年間、二人の関係は着実に進展していったようです。山下は竹内のレコーディングにアレンジャーとして関わり、また互いのレコーディングでコーラスとして起用し合うなど、公私ともに関係を深めていきました4。
竹内は当初、山下を「頼り甲斐のある先輩」として見ていましたが、彼の仕事と音楽に対する誠実さを知るにつれ、特別な存在へと変わっていったと語っています4。特に、アン・ルイスへの提供曲「リンダ」のレコーディング時に、山下が多忙にもかかわらず徹夜で多重コーラスに取り組む姿を目にしたことが、気持ちの転換点だったといいます。
結婚後、竹内はメディア露出をほぼ停止しましたが、作詞家・作曲家としての活動を開始し、他のアーティストへの楽曲提供を行うようになりました4。1984年には全曲自身で作詞・作曲したアルバム『VARIETY』をリリースし、山下が編曲として関わるなど、夫婦としても音楽的なパートナーシップを深めていきました2。
このように、1980年から1982年の間に山下達郎と竹内まりやの関係は、音楽活動を通じて深まりながら、互いの才能と誠実さへの理解と尊敬を基盤として、結婚へと発展していったことが窺えます。